カラフト伯父さん千秋楽、おつかれさまでした

東京の片隅の芝生と狭い空の下、
カラフト伯父さんの千秋楽が始まったその時間、
友人にこんこんと、月初にみた舞台が
どれだけ素晴らしかったかを説いていた。


私は昔から友人には恵まれていて
(名前に友の字が入っているからかも?)
熱中することがあると、割と周りが見えなくなるし
(節度は保つけど)
そのことのどこがどう素晴らしいかを
熱心に伝えたくなって、
延々と飽きることなく話し続けてしまう
悪い癖があるけれど、
友達は、それを嫌な顔一つせず聞いてくれるし、
なんなら時には、それに興味をもって、
質問をしてきてくれたりする。


それから、友達は、私に、
考えるきっかけをもたらせてくれる。
とにかく、ここ半月くらいの私は
ひたすら、カラフト伯父さんについて考えているけど
友人たちは別のベクトルで世界をとらえていて。
こういう世界があるんだよ?と導いてくれる。
舞台が終わってすぐ、友人が誘ってくれた展示が、
ここより北へという、青森・北海道・サハリン旅行の記録展だった。
http://www.watarium.co.jp/exhibition/1501ishikawa_nara/
http://d.hatena.ne.jp/syncream/20150503


そして、今日別の友人にいざなわれ、
観に行った展示は、東日本大震災被災した写真を
クリーニングして、持ち主の方へお返しするプロジェクトの内、
復元しきれなかった写真の展示でした。
http://www.1101.com/munemasa_photo/2015-05-11.html#real


ただ、ダメージの中にもはっきり写っている場所、
そうでない場所があったりして、
じぃと見つめているとその背景が見えてきたり、
あるいは、この写真はどれくらいの年代の物で、
顔が見えない人たちはどんな表情をしているんだろう
そんなことを考えながら、じっくりと考えているうちに、
私自身が地震災害について、何一つかえせているものが無いなとか、
無力だな、って感じるけれど。
こうやって文字で綴ることで、
一人でも多くの人にこういった活動があることが伝わるかもしれないって。
私は、伊野尾くんみたく、才能も伝えるちからも無いけれど
そんな奇跡くらいなら信じててもいいかなって。


おっと話が大きくそれたけれど。
そんな風に違った輪郭をもつもので、
遠くから伊野尾くんの舞台を感じてたよっていうことをまとめたくて(笑)


1ヶ月、本当におつかれさまでした。


そしていくつか余談ですが、
カラフト伯父さんの初演時は、震災より10年後の現代を描いており、
10年後の再演の今回は、震災より10年後の10年前を描いているという
ちょっとしたタイムパラドックスが面白いなって。
http://www.tomproject.com/works/uishin.html


そう考えると今の徹くんは、もう、
40代に足のかかった青年と呼ぶにはほど遠いわけで、
どんな風に、今、暮らしているんだろう。
みたいな風に思い思いに続編を描けるのが面白いなって。


でもって、友人に訥々と舞台の感想を話していたところ、
同じく、阪神淡路大震災をモチーフにした映画、
その街のこどもの話題にいたり、
あの映画が描いた季節も冬で、
そういえば、カラフト伯父さんの中でも
寒さの演出というのが誇張されていたな・・・と思い出し、
寒さという気候的な事象、季節の独特な匂いって、
辛かったり悲しかったり
そういう記憶を呼び起こさせる作用とかもあるなって、
1/17は寒かった…という記憶への導入でもあるのかなって。
そんなことを思ったりして。


やっぱり人と話すことは
イマジネーションを広げるね。


伊野尾くんがこの舞台での経験を持って、
これから様々なチャンスに巡り会えますように。
私は、それをじぃと見守ってゆきたい。